経歴
1944/10/12
誕生
香港上環にて中流の家庭に生まれる。幼少より地元の中流以下の出の者と交流が多く三合会ネットワークへの伝手がこの時点で形成され始める。
時勢としては香港はこの時二次大戦日本による占領が行われている時期であり、これは‘46年にイギリスに返還されるまで続いた。また、かの有名な九龍城砦のスラムが発展した時期がこの辺りの年である。
1962
18歳
香港警察に入隊
1964
20歳
九龍周辺にて姪が暴漢に襲われ死亡、姪の関係者である彼は捜査に参加することが出来なかった。捜査の結果暴漢は遺留品より薬物使用者であったことがわかっているが逮捕までは漕ぎ着けていない。
また、職場の付き合いとして喫煙を始める。銘柄はマルボロ。薬物を連想させることもあり本人はあまり好んで喫煙をしない。
1967
23歳
香港暴動にて現在の行動科である部署にて現場指揮を担当。これにより刑事情報科へと異動と共に出世、三合会のネットワークを利用し危険薬物の摘発を強化すると共に薬物に頼らない暴力組織に対しての癒着を深める。
1974
30歳
裏社会との癒着が判明してしまうと自分の立場に不都合が生まれてしまう為、同年の監察部門設立によるマフィアパージを前に王立香港警察を離れる。癒着していた暴力組織の伝手を使い自らその手の組織向けに訓練を行う(上環装備開発公司)他、警備業務を行う貿易会社(普見貿易公司)を設立。オフィスを九龍城砦内老人街にかまえる。
警察を離れ自らの事業を始める為の算段を立て始めると同時期に三合会ネットワークを利用し、より深く確実な手段としてホテルカデシュを知り接触を始める。
また、同年警察を離れる前に姪の無念を晴らし犯人を法の元裁かせた。
1993
49歳
九龍城砦の取り壊し及び一帯の区画整理に伴いオフィスを移転、この時と前後するように4才の孤児であった日系人、井宮(Art)を拾い育てる。
妻を持つ事なく生きてきた剥にとって血の繋がっていない井宮は息子であり弟子でもある存在であった。
2000
56歳
20世紀の終わり、新たな百年への門出
2010
66歳
自身の会社の一つである旅行公司の取締役の立場を息子であり弟子である井宮(Art)に譲るが、出資という形で同社の運営に関わる。
2014
70歳
井宮が葵を拾ってきた、血は繋がっていないが孫のような存在が急に増えた。本人は困惑しているがそのような行動に出た井宮に過去の自分を見る。
この年を境にして実業家としては一線を完全に退き、主な活躍の場を不当なビジネスへとシフトして行く。
2020
76歳
未だ正義は変わらず、守るべき者は少なく、護ろうとするものは多い。